また企画に参加しタリーヨ!
本宮さん主催(とーふさん共催)の弟子認定争奪杯feat.本宮愁に参加しました。
作品レギュレーションは以下。
『あなたの思う文学を2000字以内で自由に表現してください』
私の思う文学の形
これについてはあまり迷わない。というより、最近常に自分の内側に決めてる、譲れないものがありました。今回はそれを上手く表現できたようで、良かったです。再現性を高められるコツをつかんだようにも思えたので、継続したいです。
作品を書くにあたり、私の文学のルーツを再確認した
ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』というクッソほどながい長編小説があります。私はそこまで文学ジャンルに精通してるわけでもないんですが『ジャン・クリストフ』が私の文学の全てといってもいいくらいです。
この作品は、ベートーヴェンをモデルにしたと言われる音楽家の主人公ジャン・クリストフの一生涯を描いた、大河小説です。本当に一人の人生そのものが、4冊の中に詰め込まれている。
その最後。死にゆくクリストフを描くラストシーンについては、初めてこの本を手に取ってからの10年間、記憶の中で色あせることのない衝撃があります。彼の人生と真摯に向き合い読み込んできたからこそ、意味が心の芯に響いて、忘れることができなくなったんです。
多分私は、今でも自分の作品の中にジャン・クリストフ/生きとし生ける人を探しています。そして、自分の人生の中にさえ。
「扉が開ける……。私が捜していた和音はここにある……。しかしこれが終局ではないのだな。なんという新たな広さだろう……われわれは明日も存続するだろう。」
おう喜悦、一生の間努めて奉仕してきた神の崇厳な平和のうちに没し去るの喜悦!……
「主よ、汝の僕にたいしてあまりに不満を感じたもうな。わがなせしところははなはだわずかであった。されどわれはそれ以上をなし得なかった……。われは戦い、苦しみ、さ迷い、創造した。われをして汝のやさしき腕の中に息をつかせたまえ。他日われは新たなる戦いのためによみがえるであろう。」
そして大河の響きと海のとどろきとは、彼といっしょに歌った。
「汝はよみがえるであろう。休息するがよい。すべてはもはやただ一つの心にすぎない。からみ合った昼と夜との微笑み。愛と憎悪の厳かな結合、その諧調。二つの強き翼をもてる神を、われは歌うであろう。生を讃えんかな!死を讃えんかな!」
いかなる日もクリストフの顔をながめよ、
その日汝は悪しき死を死せざるべし。
ロマン・ロラン 著/豊島与志雄 訳(1986)『ジャン・クリストフ(4)』岩波文庫
「第十巻 新しき日」より
つまり私が書きたいものとは?というのも再確認した
人間を書きたい。
人間的であり読者と対話できる文字を、彼らの心の輪郭をなぞれる文字を書きたい。これに尽きます。
いや、キャラクターは生き物なんだからみんな生きてるよと言われれば、それはそうなんですけどね。
人間ってそもそも複雑じゃないですか。突拍子もなく信用ならない、想像を超えてくる部分が無限にあるでしょう。少しセンシティブな例えを持ち出しますけど、誰が2001年の同時多発テロを予見できたものか・誰が京アニでガソリンまいて大量殺人する/されるなんて想像できたものか・誰がロシアがウクライナに進行するのを感じ取れたものか。
でも、経緯や動機は存在する。吐き気を催したくなるような死んだほうがいい嫌なやつにも、天使のようないい奴にも、平等に行動に対する経緯や動機が存在しています。生まれてから死ぬまでずっと。
ここで扱う日本語でさえ、風土と血筋が歴史を織りなして作っているものですから。なんとなくと思っていることにさえ、様々な経緯と動機が重なっているものだと思ってます。
だからそれらを表現するべく、私は表層化した象徴的なエピソードを作品として描くんです。全てを書かないんですけど、全てを込めたい。そう願いながらいつも書いてます。
私は象徴に意味を与える『創作』という活動を通じて、その意味が読者に届くことを信じて、書いてます。
それが、人間を描きたい。という自分の思いの本質だと考えてます。
シャア・アズナブルの「ぼうやだからさ」のように。スラムダンクの山王戦のように。ただの人生のワンシーンに意味を与えるのは、創作の役目なのだと信じてます。
実力不足で上手く書けない時が多いけど!あと、最近形になり始めた目的意識だけど!
それに最近と言った通りいつもこんな高尚ぶったこと考えて書いてるわけじゃないです。義務感で書きたくないし。色んな意味で文章を楽しむ生活をしたいです。
クリスマス直前に女にフラれた男が鳩の群れに下剤を撒いて、鳥クソホワイトクリスマスにする、なんの意味もない話も書いてますし。
今回も、楽しく作品を書けたと思います
今回提出作品を書くにあたって、特に意識したこと
とにかく自分自身が作品に結びつく、そういう純度の部分を重視したいなと思ってました。
師匠のお望みである様にもお見受けしたので。
なので、敢えて執筆時間を現行締切日当日のみと定め、今ある自分の言葉をなるべく純度を保てて出せる、既に自分自身の人生と結びついている題材の選定に集中していました。
そして、覚悟だけ決めて締め切り当日に文章をブッパ!!
本当にこれだけでした。
提出作品について(A-11.『サン・セバスティアンの遺児』)
舞台
スペインのバスク地方にある、サン・セバスティアンという都市です。
近年は食の街としての観光産業も盛んで、あと、なんといっても”強いサッカーチーム”があるのも魅力的ですね。
その名もレアル・ソシエダ。
日本の至宝、久保建英の所属により脚光を浴びる様になったチームですね。今シーズンは攻撃力不足に苦しみましたが……。
バスク地方の超名門といえば、ソシエダとビルバオ(後述)の2チームです。あと、SDエイバルも1部リーグと2部リーグを行き来する強いチームですね。バスクという狭い地方に、なんと、3つもの強力なチームがある。不思議ですよね。
レアル・ソシエダの愛称はラ・レアル。作中ではこの呼び方を一貫してます。どっちかで呼ばないと読み手が混乱すると思ったので、後者を選択しました。以降はこの項でもソシエダはラ・レアルと呼びます。
ラ・レアルとバスク純血主義
これは史実です。1989年まで、ラ・レアルはバスクに所縁ある選手のみで戦い抜いてきた。
それ以降、ラ・レアルは足りない部分に適宜外国人選手を補填する様になっていきます。”足りないからこそ強さに変わる”と信じていたカルロスにとっては、愛していたチームの誇りそのものが失われていく様に感じられたでしょう。
もっとも、ラ・レアルはバスクならではの哲学を捨てたわけではない。地元で選手を揃えるという”自前主義”は現在で、ライバルのロス・レオネスことアスレティック・ビルバオと並び、下部組織の質は世界屈指の高い評価を受けています。
哲学を同じとする、純血主義を貫くチームロス・レオネスとの試合はバスクダービーと呼ばれ、他のダービー『エル・クラシコ』や『マンチェスターダービー』とは異なり、最も平和的で和気藹々とした雰囲気であることが有名です。土地に根ざす、深い仲間意識が垣間見えますね。
彼らのサッカー哲学の中には『仲間のために力を尽くせるか』と言った様なものがあり、まさに、独自の育成環境と哲学が育つ、強さと美しさを兼ね備えています。カッコいいですね。
今回描きたかった事を表現する舞台として最適でした。
カルロス・オチョア
生まれ育ちがサン・セバスティアンの、き真面目な元サッカー選手のジジイです。主役。
歳は70前後を適当に想定してました。
40歳ほどで妻を亡くしてから、頑固な彼と周囲との緩衝材の役目を果たす存在がいなくなり、親族からも孤立していき、さらには閑古鳥がなく様だった家の周囲はいつのまにか新興の住宅地に飲まれていき、そして、寛容で多様的な若い世代とも折り合いが付かずにここでも孤立していきました。完全な孤独は却って難しいので、昔なじみの数人の友人だけがいる、ということにしてます。
これが、この怖くて近寄りがたいジジイの製造過程です。
彼自身も時代に置き去りにされた様な孤独を快く思っておらず、その鬱憤の矛先、時代の変化の象徴を外国人とみなし、排他思想に傾倒していきます。ヘイトを煽りがちな現代日本の情報ツールにも通ずる部分があるので、これにはちょっとした社会風刺も込めています。
ただ、彼も愛を知る人間であり、他者に優しくできない者はダメだとも思っています。心の底では、かつて勝負をかけて戦いあった外国人選手たちも尊敬していたし、やろうと思えば、ちゃんと一人の人間として向き合おうとできる。葛藤する要素を抱えている。
差別的態度を改善しなかったのは、単純に機会に恵まれる事がなかったがためです。だって孤独な人だもの。
彼の人格の本質的な部分は、仲間を大切にしたいだけの熱血漢。それゆえに厳格に規則の徹底やルーツにこだわりを持つ。それがかえって人を遠ざけてしまった。まあここから倫理観と優しさを取り払ったらギャングそのものですけどね。
彼はテツヤとの出会いを経て、純血そのものではなく、魂や意志に文化は宿るものであると気づきます。終盤、テツヤにそれを興奮気味に伝えるシーンは、実は彼自身の気づきに興奮した、自分自身への語り掛けでもありました。
彼は真にバスクの魂を継承するべく、文化保全活動と地域のサッカー少年への指導に残り僅かの余生をささげていくのですが……その過程で、人との心の交流を想い出していき、そして最期は彼を慕う人々に囲まれて、安らかに眠ります。ただ、テツヤのことを重んじるあまり、逆に彼に黙ったままで旅立ってしまいました。
渡邉 徹也
作中ではテツヤ表記。
生まれは日本ですが、育ちはサン・セバスティアン。日本人ともバスク人ともいえない自身のルーツに悩みながらも、サッカーで成功することを夢見る13歳の、父子家庭の少年です。
父親は元々Jリーグの海外部門のスカウト強化担当者で、その優秀さを買われ、ラ・レアルで現在はアジア圏の担当に就いている。スカウトというのはかなり狭き門かつ難しく多忙な仕事だと思うので、あまり家には戻れていない設定です。(しかも世界最高峰のリーグにあるチームのスカウト担当者……)
彼自身は選手としての資質に優れ、将来的にプロになるのではと目される存在です。カルロスから安全な練習場所を提供され、交流を深めていくことで、彼に父性と友情を見出していきます。心の底では彼のことを父親の様に慕っていたのです。
カルロスの指導もあり飛躍的にサッカー選手として上達・成熟していった彼は、最終的にロス・レオネスの下部組織に入団することになります。世界でも最高峰の育成機関です。
ある日手紙のやり取りが途絶えたことをきっかけに、後にカルロスの死を知り、年に一度必ず彼の墓に姿を見せるようになります。バスク人としてのアイデンティティを持つ彼は、スペイン代表となることを目指すようにもなります。
適当ですが、自作語りはこのくらいにしておきます。
それではまた。
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