言語が他人に対してその真価を発揮する時って、名詞を使う時じゃねえかな、とふと思いまして、唐突に昔語りから入るんですが……
俺は中学生の頃、サッカーの日韓戦をクラブチームの仲間と見に行きまして。しかし韓国側の客席しか空いてないのでそこを取って、韓国サポーターのフリをみんなでしていました。
「オー ピルスン コリア!!」
とめっちゃ見様見真似でチャントを歌って応援したし、パク・チソンが2人ぐらいドリブルでぶっちぎって独走ゴール決めた時はですね
「チソンー!!!サランヘヨォーー!!!」と叫んで後ろの座席にいた韓国人のおっちゃんと抱き合って喜んでました。その後もカタコトの英語を交えて、いくらか会話しつつ観戦を楽しみました。
いつの間にか韓国応援すんの楽しくなって、韓国がその時2-0で勝ったんだけど、本当にめっちゃ嬉しかったです。応援してるチームが勝つのって気分がいいですね。(国賊)
ここからが本題なのですが、俺と韓国のおっちゃんを仲良く繋いでいたのは、主にフィールドの状況そのものだったと思うんですよね。
「今のゴールみたか!?チソンすげーーー」
「闘莉王やらかしたな!ラッキー!」
「今のシーン、危なかったな」
ってね。
扱う言語が違うだけで、共有している空間は同じですからね。
意味を共有可能なそれ(疑似的な名詞)を指し示し感情(こう感じたという疑似的な動詞)を露わにすることで、なんとかコミュニケーションが成立してました。
このラベリングにも似た疑似的な名詞ってのは、時にまあ『思想』とか『みいちゃん』とか、人を揶揄するための物にもなりますが……これも文化の一つではありますね。(不快ではありますよ)
韓国のおっちゃんとの交流は、スポーツが人をつなぐというのはこういうことね、と身体で感じ取った貴重な体験でもありましたね。
そして上記のような状況は、まさに一期一会という言葉がふさわしい。
ほんと、一度会ったらその後は二度と会わない人の方が人生多いんだな、なんて実感するお年頃になりました。(30歳)
ただ、案外人と人とのつながりを侮ってはいけないという実感もありまして。友達の友達・知り合い……ってのは、この世にとんでもない数ほどいらっしゃる。
私は親族が多く、はとこまでなら一度顔を合わせるほどに、交流も少なからずありました。
高級みかん農家や、プロの演奏家、ニート、教師、飲食店経営者、そしてニート、看護師……。
多種多様な業界人が、親族というつながりだけでつながりがあるってのは、予測がつかず面白いものです。(めんどうごともその分ひとしおですがね……)
何が言いたいかっていうと、いつどこで、誰と出会うかなんて誰にも分かんないです。
だから人に優しくするマインドを忘れちゃだめだよね。っていうことです。
電車で足腰の悪い人に席を譲るもよし。
ふとした時の「お先にどうぞ」でもよし。
まあ、ディズニーランドのショーレストランの予約だけは「全員死ね!」って思いながら予約開始時刻に予約ページをバカほどクリックしてもいいと思います。
なんでこんなの書こうと思ったかというと、前の現場で転職元の課長とばったり会いまして、その方の下で働いたんですよね。それがきっかけです。
そのとき、円満退職しといてよかった~!とも思いましたし、周囲を助けようという強いマインドで動いていたら、
その古巣の課長から「リファラル採用で戻ってきませんか?」という打診もいただいたという。(もちろん流石に無理といいましたが、うれしかったです)
SESのエンジニアという職業柄、関わってくる人は多いですが、その分業界は広く深くつながり合ってます。
同じ時期に、同じビルで働いていた方と一緒に働くことになったり、
二次受け案件であれば「また御社に頼らせていただけませんか」なんて打診が大手SESから来ることもある。
信頼の積み重ねがモロに響いてくる世界だなぁ、なんて常々思います。まあ、その点はどこも一緒でしょうがね。
逆に、周りに優しくしなかった場合はどうでしょうかね。
そりゃ、普通に生きづらくなるという。社会でも会社でも。
自分、少年時代に沢山周りにご迷惑をおかけしてしまったせいで、怖くなることがありますよ。
「暴力」が課題解決の手段として染み付いてしまい、精神的に問題があった子供でしたから。
今でも誰かに恨まれているのではないか?
俺が幸せであることを許せない人がどこかにいるのではないか?
そう思って、とてつもなく怖くなることがあります。
もちろん、私が一番悪いです。私がやったことの因果応報であり、同情の余地なんてありませんから。
だからこそ怖い。事実だから怖いんです。
かつて一度、社員向けインタビューを打診された時は、この不安がよぎって断りました。
美大の卒展には、偽名で提出しようか迷いました。
心配しすぎかもしれないですけど、やったことの取り返しは付かないものですから。
その”罪と対峙する”人の意識というのは、以下リンク先の拙作『アンビバレント』でテーマにした部分でもあります。
(創作スタイルが根本的にアーティスティックなので、どうしても強く自我を込めてしまうことがあり)
https://kakuyomu.jp/works/16818093089260409697
そういう経験があって、自分はとにかく関わるみんなに、重くない程度のささやかな優しさを振りまく努力をします。
たまに間違えて傷つけてしまった時は潔く謝りたい。
人に優しくして生きましょうね。(自戒を込めて)

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